MAP of Cross Simpson desert.
Alice springs->Finke->Mt.Dare->Dalhousie->Freeth Jct->Purni Bore->Colson Track->Rig Road->Poeppel Cnr->Big Red->Birdsville.
1992年8月20日(木)
装備。
ガソリン 50L、水 12L。⇒ これだけで62Kg。
オイルサーディン:5缶。米:1Kg。もち:3個。フルーツ缶:1缶。
ふりかけ:1袋。農協御飯:1個。マッシュポテト:1袋。レトルトカレー:1個。
インスタント味噌汁:たくさん。チョコレート:5個。ちょっとぞーすい:1個。
塩、胡椒、ガーリック。
コーヒー、砂糖、紅茶、ほんだし、お茶漬け。
(当時の日記より。)
7日分の食糧と予備。といった内容に見えるが。
水の使用が限られていたせいか、何を食べていたんだろう?。
マウントデアでガスと水をフルロードしてタンクローリーのようになってしまったXR600R。
マウントデアを出たのは昼近く。
ダルホージーの温泉で入浴後、15時過ぎに出発してパルニボアでキャンプ。
ダルホージーの温泉。
4WDがたくさん来ていた。
ダルホージーを出て、フリースジャンクションへ行く途中、カメラが砂で壊れてしまい。
ここから先は予備に持っていた「写ルンですパノラマ」の写真のみとなってしまった。
フリースジャンクションへ続く砂漠のストレート。
コニカ ビッグミニで撮影した写真はこれが最後となった。
もう夕方。影が南へ長く伸び始めている。
この時の緊張感は、ただごとではなかったと思う。
この日はこの先のパルニボアでキャンプ。
1992年8月21日(金) フレンチライン上を進む。
フリースジャンクションを過ぎたあたりから砂が深くなってきた。
水もガソリンも載るだけ積んだ状態。
マシンを止める場所さえも無い深いサンド。
緩い下り斜面で止まらないと再発進は難しい。
止まって写真を撮る余裕もほとんどない状態が続いた。
このあたりがフレンチライン核心部。貴重な1枚。
スタンドを出さなくても倒れない。そもそもタイヤが砂に埋まっていてスタンドが出せない。
コルソントラックとの交差点。
ここまで60Km進むのに夕方4時までかかってしまった。
この日はここを右に曲がってリグロード上でキャンプ。
ジェリ缶が車体中央部に載ってるときは、まだ中にガスが満載ということだ。
1992年8月22日(土)
リグロードに入ってからは、やや白い砂となる。
空の色からこの日は曇ったお天気だったと思われる。
塩湖を迂回して進む。
1992年8月23日(日)
再び快晴。
塩湖を突っ切る場面もあった。
ポエペルコーナー。
ジェリ缶も空になると、キャリアの後の方に固定されることになる。
水もガソリンも、ほぼ使い果たしているので軽くなったマシン。
ここ数日のサンド上の走行で、走らせ方もうまくなっている。
ポエペルコーナーから先、ビッグレッドを越えてバーズビルまで続くQAAライン。
砂丘と砂丘の間が離れているので助走をつけて登ることができる。
バーズビルまでの約150kmは、ずっと良いペースで走ることができた至福の数時間。
ビッグレッド。
ここまでくれば、バーズビルの街はすぐそこだ。
バーズビルの街へ着くと。
真っ先にパブを目指した。でも残念、日曜日でパブはお休みだった。
キャラバンパークでテントを張っていると、ポリスのランドクルーザーがやってきた。
「バイクでシンプソンを越えてきた日本人っていうのはお前たちか!?」
到着を確認に来たらしかった。
砂漠へ入っている車両はチェックしているようだ。
軽く手を挙げて返事をしただろうか。
たぶん、一目でそうとわかる風体だったと思う。
「もう、この先は砂丘はは無いから。気を付けて行けよ。」
そんな感じだったと思う。
そう言って遠り過ぎていった。
ありがとう。
無事通り抜けたよ。
バーズビルの街は。
一生忘れることのない記憶として、
残ることになるよ。
Published by Sierrasouth Inc. 2020. Japan.